実業球場と満鉄倶楽部球場(大連)

5月31日午後、大連市内をブラタモリ的にブラブラ。
日本統治時代の大連の実業団連合野球チーム「大連実業団」のホームグラウンド「実業球場」があった跡も見てきた。大連実業団は第2回全日本都市対抗野球大会(1928)で優勝している。

実業球場は日本統治時代の中央公園、すなわち現在の労働公園の敷地内にあった。

現在はすでに撤去され、広場となっている。

下のGoogle Mapのマーカーの座標が実業球場グラウンドの位置。広場を取り囲む扇型の遊歩道から野球場の痕跡がうかがえる。


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現地の様子(2012.5.31撮影)

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遊歩道。扇型にゆるやかにカーブしている。

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以前のグラウンド。現在は広場となっている。
写真中央奥の丸い芝生のスペースがGoogle Mapのマーカーの位置。

 

実業球場跡ではお年寄りのご夫婦からグラウンドが撤去される前の様子をお聞きすることができた。戦後もしばらくの間は野球やソフトボールなどで使用されていたらしく、90年代頃まではグラウンドが残っていたらしい。

以下のリンク先は在りし日の実業球場グラウンド(90年代前半頃)の写真。

霞会掲示板 旧実業球場
http://8322.teacup.com/zyun/bbs/963
戦前の大連在住者の方々の掲示板。

 

 

一方、大連には大連実業団のライバルチームとしてしのぎを削ったもう一つの強豪チームの満鉄倶楽部も存在した。満鉄倶楽部のホームグラウンドは中央公園(現労働公園)の南東側にあった。満鉄倶楽部は第1回、第3回全日本都市対抗野球大会(1927、1929)で優勝している。

 


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現地の写真(2011.9.25撮影)

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球場東側の道路から撮影。

 

日本統治時代に建てられた大連満鉄倶楽部のホームグラウンド。
1940年夏、プロ野球がまるごと当時の満洲国に遠征して各地でリーグ戦を行い、この球場でも試合が行われた。同年 8月3日、大阪タイガース(阪神タイガース)の三輪八郎投手は、この球場で行われた対巨人戦でノーヒットノーランを達成。これはタイガース史上初のノーヒットノーランでもある。

一阪神ファンとして、この地に立つのは感慨深い。
    
戦後の中国では野球が普及しなかったので、この球場は主に陸上競技場・サッカー場として使用された。
今は使われておらず、草ぼうぼう。市内の一等地の球場なのにもったいない。写真は昨年9月撮影だが、現在の状況もほぼ同じ。
奥のほうに写っているピンクの建物とスタンドは1990年代以降に建てられたようだ。
    
下記のリンク先には1990年代の写真が掲載されている。
この写真には野球場時代の様子がまだ残っている。
    
霞会掲示板
http://8322.teacup.com/zyun/bbs/876